実際にそこに行ったのは夏の終わりになってからだった。
忘れていたわけじゃない。
その頃の俺は、夏といえば北海道に鱒釣りに行っていた。準備も、今と違ってマジメにやってたので夏の初めからずっと忙しかった。近所の川には釣りに行っていたが、奥に行って怪我などすると夏の北海道の釣りが台無しになっちゃう。俺だけの川だ、慌てる事は無い。そう思って自粛していたのだ。
地図はコピーした。
竹草庵の爺さんに書いてもらったオリジナルは、大切にして会社の机に仕舞い込んだ。
初めてその川に向かう朝は、言いようの無いワクワクと興奮があった。
俺の川にとうとう出会えるのだ。
フライボックスには北海道で使い切らなかった大きなドライフライがギュウギュウに入っていた。
コピーした爺さんの地図をベストにフライボックスと共に押し込んだ。
まだ、パックロッドは持っていなくて2PCの7’#3の竿を車に積んで出かけた。
役場を過ぎたところの曲がり角までは1時間半ほどで着いた。
そこを右折すると畑道になった。ここが厄介だった。カーブと変則の交差点の連続でどっちの方向に進んでいるのかよく分からなかった。ここでも爺さんの地図が役に立った。
最後のT字路を左折すると川沿いに出た。川沿と言っても、川は谷底深くにあり、流れは道からは見えなかった。時折、木々の隙間から川原の石が白く光るのが見える程度だった。
道はやがてひどい林道になった。四輪駆動車で無いと無理だ。それも小さいヤツ。その頃、俺はJeep J37っていう、のロングボディーの三菱Jeepに乗っていたのだが、これで行くのがやっとだった。カーブだと前輪が崖から落ちるか?内輪差で後輪が土手に乗り上げるか?結構ヒヤヒヤもんだった。
冷や汗をかきながら爺さんに言われた通りに進むと、やがて広いくて平らな場所に出た。
そこには集落は無く、ところどころに昔の家の土台らしき石積みが見える程度だった。
爺さんの地図に書かれている駐車場所はわからなかった。とりあえず道が山に吸い込まれる手前の少し広い草ボーボーの所に車を止めた。そして川に行く道があるか探しに降りてみた。
道は無かった。傾斜地は崖に近かった。しかし、なんとなく踏み跡のようなものがあって下の川原まで下れそうだった。
俺は仕度を急いだ。リュックに午後の紅茶と握り飯を放り込み、その上に合羽を押し込んで車の鍵を閉めた。
そして早足で急な傾斜地を下って行った。
川までは結構な距離があった。ずっと聞こえていた沢音がだんだん大きくなり、空気が急にキーンと冷えてきた。最後の5mは完全に崖になっていて場所を慎重に選んで下りた。
川原は広かった。
汗をぬぐって川の水で顔を洗った。見上げると緑の間に青い夏の空が帯びになって続いていた。振り返ると下りてきた急な傾斜地が反り返るように見えた。でもその時は帰りの事などろくに考えもしなかった。
濡れた顔をそのままにして上流向かって歩き出した。おでこと首筋を撫でる風が気持ち良かった。川原に大小の岩がゴロゴロと転がるいい川だった。水は少なかったが青く澄んでいてキラキラ光っていた。
どれくらい登っただろう。釣竿を出したい気持ちを堪えながら先を急いで歩いていると右側の山の傾斜が緩くなった。そしてその真ん中に大きな窪地があり水は流れていないけど、沢らしき石のゴロゴロ転がった地形が山の奥に向かって続いているのが見えた。
つづく
この話はフィクションです。